11b.jpg代表取締役社長 中村 忍さん

大きな一歩を踏み出す気概を
~建築事業を通して東京と最上をつなぎたい~

◆どういった会社ですか

 当社は商業施設や学校などゼネコンの下請けでの内装工事、高齢者施設・店舗・アパート・住宅の建築工事、そして建築資材の販売を手がけております。創業者にあたる先代の社長は新庄の生まれで、もともと高等学校の教員をしていたのですが、 40歳を過ぎてからこの会社を起業しました。
 私は東京の出身で、広告代理店に勤務しておりましたが、 27歳の時に結婚を機に新庄に移り住みました。私が結婚した相手の父親が、その先代の社長にあたります。当初は製材と販売から始め、10年ほど経った頃、事業に私が加わり先代と共に共同経営者として事業を拡大していきました。
 現在は東京と仙台に支店があり頻繁に拠点間を往復しております。

◆最上のご感想をお聞かせください

 住むには良いところという感想ですね。確かに冬はたくさんの雪が降りますし、その苦労もありますが、雪が降るから新庄であってそれが最大の特色になっていると思います。私は太平洋側の晴天続きの冬に慣れていましたので、曇天ばかりが続く新庄の冬の天候は、雪の多さよりこたえますね。
 地域の人柄に関しては、新庄に生れ育った方や暮らしている方ほど、意外に新庄についての歴史を知らないのではないかと思うところがあります。

◆若者についてはいかがでしょうか

 私が若い頃の時代であれば、例えば新庄と東京のように、地方と都市部の若者はかなり生活や考え方が違っていたかもしれません。ところが現代は、メディアやインターネットの普及で情報は瞬時に伝わり、生活の内容も似通ってきて、大きな違いはないように思います。
 私としては、若者だけではなく40代の人もそれまでと異なる価値観を持っているという印象がありますね。彼らが初等教育を受けた昭和50年代から個人主義の傾向が強まりましたので、その時代から物事の考え方が一変したように思います。

◆東京から見た東北のイメージは

 今の東京は、東北人が造った街と言っても過言ではありません。私が生まれたのは入谷という浅草にほど近い下町ですが、東北からの玄関口である上野も近くですし、そこで生まれ育った私は、とりわけ東北地方への親近感がありました。歴史的にも、東京は地方から様々な人間が集まって造った街ですから、血縁よりも地縁が強いんです。ですから、東京の暮らしは隣人もわからないなどとよく言いますが、そんなことはありません。町内は全て顔見知りですし、留守の時も鍵を掛けないような下町です。世間が思っている、東京は人間関係が無機質だなどというステレオタイプな印象に、私は大反対なんですよ(笑)。

◆これから地域との関わりは

 私はこういった経歴ですから、東京と最上の架け橋になることが自分が果たせる役割なのではないかと思っているところです。ただ、もっと最上の若者たち自身が東京や世界とつながってもらいたいし、思い切って外に飛び出すバイタリティーや気概を持って欲しいですね。

◆出る杭は打たれると萎縮してしまいがちです

 まずそれが良くない(笑)。若い頃に、打たれると心配をして縮こまっていては何もできないですよ。思い切って大きな一歩を踏み出すこと。一歩が大きいほど、それをつぶせる人などいないですから。

◆若者へのエールをお願いします

 例えば、最上には高校が数カ所ありますが、誰しもがランク付けをしてしまっています。それは、若者が高校入学と同時に自分の人生を縛ってしまうことにもなりかねません。
 私たちは、若者が持つ可能性を束縛するような先入観を取り払い、彼らが能力を自由に伸ばせるようにしなければいけないですし、同時に、若い方には自分が最上を背負って立つというくらいの気概を持って大きな一歩を踏み出して欲しいと思います。
 意欲があれば、社会に出てからでも勉強を重ねて更にいくらでも上に登っていくことができますから。


11c.jpg平成19年度入社 北島智美さん

◆どんな仕事を担当されていますか

 今は住宅建築の現場管理を担当しています。具体的にはお客様との打ち合わせから意匠や構造の図面を描くことや、建築現場に行って実際に作業にあたる職人さんと打ち合わせを行うといった内容です。

◆いつ頃からこの業種を目指しましたか

 中学生くらいからデザインが好きで、そこから建物や建築、内装に興味が出てきました。きっかけは、住宅のリフォームを取り上げたテレビ番組で、外見だけでなく構造や製作の過程を見ることが大変に面白くてそこから建築に進みたいと思い始めました。
 また、親戚に大工の方がいまして、小さい頃から仕事の様子を見る機会もありましたので、馴染みがあったのかもしれません。

◆こちらの会社に入った経緯は

 通っていた高校の通学路の途中にこちらの会社で建てた住宅があったのですが、それがとても可愛らしくて印象に強く残りました。この地域でもこういう建物を建てている会社があるんだなと気になり、そこに就職したいと思うようになりました。
 その後、建築関係の短期大学で学びまして、卒業後にこちらの会社へ就職を希望して面接試験を受けました。

◆学生から社会人になって大変だったことはありますか

 基礎的な知識は短大で学べるのですが、実務では学んだことが通用しないことも多く、仕事を始めた頃は覚えることが多かったです。慣れないうちはミスもあり、現場監督や作業にあたる職人さんから責められたこともあります。泣くような気持ちで仕事にあたる時期でしたね。

◆他に女性の現場管理の方は

 先輩がいらっしゃいます。昔ほどではないと思いますが、今でも建築業界の現場で仕事をする女性は、まだ少数派だと思います。 私の場合は、デザインや設計を志望して入ったのですが、設計の前に構造を知らなければいけませんし、そのために現場での納まりを覚える必要がありました。現場管理の経験をこれからも重ね様々なことを身につけて、いつかはデザインと設計の仕事をしていきたいと思っています。

◆これからの最上地域に望むことは

 女性でも仕事しやすい地域であって欲しいと思いますね。私には二人子どもがおりまして、一人はまだ乳児なのですが、こうして仕事に出られるのも家族の支えがあるからです。ですが、親と同居していない方も多いですし、そういった方が小さい子どもを抱えて仕事に出ることは大変難しいと思いますので、地域としてサポートがあればとても助かると思います。そうすれば女性がもっと力を出していけますし、仕事か育児かの二者択一ではなく両立できるのであれば結婚や子どもを設けることについてもっと前向きになれます。

◆将来の目標と夢を教えてください

 現在の目標は、一級建築士の資格を取ることです。それに、建築関係で仕事を頑張っていつか子どもが大きくなったら、夫婦ふたりでお城やお寺など、日本の美しい建築物を見て歩く旅行がしたいですね。

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設計について上司との打ち合わせ

11e.jpgCADで設計図面の製作