常務取締役工場長 山崎光芳さん
最上の企業として自立していきたい
~表面メッキ加工処理でモノづくりを支える~
◆どのような会社でしょうか
当社は、パソコンやタブレット、スマートフォン等の電子機器に使われる部品への表面処理加工を行っています。表面処理とは、金属部品の表面に電導性や色など表面の性質を変えるために行う処理で、一般にメッキと呼ばれます。メッキの種類としては金、銀、銅、ニッケル、スズなどが代表的ですね。ほぼ表面処理を専業としているのですが、その他に部品プレス加工もしています。
親会社は長野県にありまして、当社はその生産工場という位置づけです。平成元年にこの新庄中核工業団地に進出しました。当社の社長は親会社の社長が兼務しており、常勤ではありませんので工場長の私が当社の全般を見るという役割を担っております。私は長野県の出身で、親会社から当社に赴任して5年になります。
◆長野からかなり離れたこの地に進出された理由は何でしょう
親会社のある長野県諏訪には、工業系の会社が数多くあります。今から30年ほど前に、そういったメーカーの多くが東北地方に生産拠点を持ち始めた時期があります。またその頃は、親会社の取引先が拡大し、全国各地のメーカーと取引を始めたことも重なりました。それに対応するために東北地方に製造拠点を作ろうと検討し、この新庄中核工業団地への進出を決めたというわけです。
当社は表面処理専業の会社ですので、部品製造会社の仕事をお手伝いすることが主な役割になります。そのため、なるべくお客様の製造拠点に近い場所にあった方が好都合なんですね。新庄は東北地方のほぼ中心にありますので、そういった協業を図るには地理的に良い場所だと思います。
◆新庄最上で仕事をしてご感想は
私自身は最上地方に来てまだ5年ほどですが、前任者から引き継ぐ際にも最上人の人柄や、仕事への姿勢が素晴らしいとの評判を聞いていました。正直で粘り強い、そういう美点は確かにあると感じています。さらに望むとすれば、自己アピールをもう少し積極的にしていただければ良いのかなと思います。
当社の社員にも言えることですが、東北の方には、接する際に何か殻のようなものを感じるんですね。親しくなって一度この殻を破ってしまえば、とても気さくで何でも話せるのですが、普通に話すだけではなかなか破れないのです。通り一遍の会話からもう一歩踏み込んで初めてその人が見えてくるといった雰囲気はあると思います。
◆若者についての印象はどうですか
私は60代ですので、今時の若者はと、つい口に出てしまいがちですが(笑、)外見や話し方はともかく、基本はいつの時代も変わらないように思います。もちろん時代が変化していますから、それに伴い感受性の強い若い世代が、私たちから違って見えるのは当たり前です。でも、きちんと話せば分かってもらえるし、新しい世代ならではの能力は必ずありますから、それをどう仕事に活かすのかを見極めることが大切だと思いますね。
◆若い世代に求めることは
自分の考えを伝えられることです。中には、発言の内容の正確さに囚われてしまい、こんなこと言っていいのかと考え込んで、話すことができない方もいます。
会社として一番困るのは、何を考えているかわからないことや、返事は良いけど本当に理解しているのかがわからないという点です。これは組織としてチームプレーをしていく上で不安な要素ですから、人の話をきちんと受け止め、自分の考えも口に出すことに努めてもらいたいと思いますね。
◆今後の地域との関わりは
当社が開業して27年が経ちます。人間で言えばもう立派な成人ですから、当社もそろそろ一つの会社として自立することも必要かなと考えているところです。当社の社員の9割は最上地域の方ですし、そういう点からも、名実ともに最上の会社として、自立してやっていかなければいけないという思いがありますね。
平成23年度入社 佐々木健太さん
◆どんな仕事を担当していますか
これまで取引をいただいた既存のお客様を中心に回る他に、新規のお客様を開拓するという業務を担当しています。また、製造ラインの計画作成や、製造現場とお客様の間に立ちニーズに合った製品を生み出せるように調整するという、管理営業という役割です。当社は主に表面加工を施すことを仕事としておりまして、用途としては精密機器に使われる部品への金属メッキを得意としております。部品としてよく使われるのは、携帯電話やスマートフォンなどの小型機器ですね。
◆入社までの経緯を教えてください
私は茨城の大学でスポーツ関係を学びました。それは、スポーツインストラクターを志していたからなのですが、学んでいく中でスポーツトレーナーはどれほど狭き門で難しいことなのかを実感しまして、諦めて進路を変更しました。
◆そんなに難しいものなんですね
はい。プロスポーツ選手よりも、トレーナーやインストラクターの方が全然数少ないんですね。それだけ狭き門ですし、知識やスキルなどの能力的にも相当に高いレベルです。
◆地元に戻ってきた理由は
私は尾花沢の出身で長男ですが、親からは地元に帰ってくるなと言われておりました。私の親は、将来雪のないところに移りたいという希望があったようで、私を当てにしていたのかもしれません(笑)。ですが、私は生まれ故郷や地元の友達が好きでしたので、大学卒業後に地元に戻りました。その際に就職先として工業系の会社を考え、こちらの会社に就職しました。
入ってすぐに営業の仕事を命じられましたが、どういう仕事をどのように行っているのかを知るために、研修として各部署の製造現場を経験しまして、そこから現在の営業業務を始めました。業務は、得意先を回り新たな需要を開拓したり、市場の状況を伺ったりしてくるのですが、常にお客様とやり取りしますので、かなりコミュニケーションの能力が問われると思います。
◆社会に出てすぐにそのような担当は大変ではなかったですか
苦ではありませんでしたね。私の生まれ持った性格だと思いますが、子どもの頃から人と話すことが好きでしたし、実家はたくさんのお年寄りがいますので自分よりずっと上の世代の人にいつも触れていました。小学校の頃には、サマーキャンプなどの泊まりがけの行事にも積極的に参加しました。
私の地元では子どもの数が多くありませんでしたので、放課後もかなり歳の違う子どもたちと一緒に遊ぶことがほとんどでしたから、教室以外でも、違う年代と接する機会が多かったですね。また、学生の頃には野球をしていまして、先輩や後輩と常に接していたことも良かったかなと思います。
◆将来はどのような最上地域であってほしいですか
私はまだ独身で実家の尾花沢で暮らしていますが、将来は新庄市内に住みたいと考えています。今は街中を歩いている人の数が少ない印象がありますが、できればその頃には活気のある街であって欲しいですね。
また、地元の同級生は、男は多いのですが、女の子はほとんど県外や都市部に出ていっています。やはり女性が積極的に選ぶ職種が少ないのだろうと思いますし、私たちの世代が地元に残るために、若者に選ばれる働き口や労働環境が整ってくれればありがたいと思います。
あとは雪の多さが何といっても一番の悩みですが、これは降ってくるものなので仕方ありませんね(笑)。
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